1800年9月25・26日は?
幼名を三治郎といいます。6歳の時に母が亡くなりました。
13歳の時算術を、16歳の時(佐忠太を名乗る)医師のもとで経学医書を学ぶ。
1795年(50歳)江戸深川(江東区)に隠宅を構え、30歳の高橋至時に測量に関して
学ぶ。1800年(寛政12年)閏4月19日蝦夷測量のため江戸を出発。一行6名。
9月25日、26日と蝦夷地、西別に到着2日間測量する。
この西別を最後に折り返す事とした。何故なのか?・・・(カテゴリーの伊能忠敬を)
つまり西別(別海)が忠敬測量隊一行の最北(最東)端測量の地になった。
期成会7名が中心になって
記念柱を建立。
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別海温泉ホテル「新自然塾」の親爺
にわかつお 来年の9月には「伊能忠敬」記念イベントを企画したい。
http://www.aurens.or.jp/~onsen/
「伊能忠敬記念館・・ニシベツ」
クリックして見て下さい。イソジェックHOMEから
カテゴリーを選択して頂ければ、色んな角度から
見られます。↓
http://www.isojec.com/inou/index.html
伊能忠敬とニシベツ(別海)
伊能忠敬は日本地図製作のために全国を測量しています。北海道は伊能忠敬が行った10回の測量旅行の中でも記念すべき第一回目でした。
1800年閏4月19日から10月21日までの180日間、3,224キロメートルの測量徒歩旅行の最終到達点は、北海道東部「ニシベツ」(現:別海町本別海西別川河口南岸)でした。そしてこのニシベツが伊能忠敬の測量した最東端(最北端)となりました。
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